映画『ハチドリ』キム・ボラ監督、「人生と家の本質を語りたかった」

2019年08月19日

今月29日に公開される映画『ハチドリ(原題: 벌새)』は、1994年を舞台に中学校2年生のウンヒの日常と成長を描いた作品である。外見からは細かく、平凡であるがハチドリのように何度も羽ばたき、最善を尽くしながら生きていくウンヒの人生は普遍的な人生の縮小版のようである。
当映画はお使いをしに出かけたウンヒが家を間違え、アパートのインターホンを押してしまうシーンから始まる。困惑しながらも自宅へと向かいウンヒは母親が空けてくれたドアを閉めて中へと入って行く際、カメラはズームアウトし数多くのアパートの玄関ドアを一つの映像として収めている。まるでそのドアを一つずつ開けて入って行くと第2、第3のウンヒがいるかのようである。
最近、ソウル・銅雀銅にあるARTNINEでキム・ボラ監督にインタビューを行い、オープニングシーンに関して「家を間違えてしまったウンヒを通じて何を待ち焦がれているのか、また母親との関係から感じる欠乏と不安などを暗示するようにお見せしようとした」と語った。
キム・ボラ監督の長編デビュー作品である『ハチドリ』はベルリン国際映画祭 ジェネレーション14プラス部門でグランプリ、第45回シアトル国際映画祭 コンペティション部門でグランプリ、そして第36回エルサレム国際映画祭で最優秀賞長編デビュー作品賞など優秀な国際映画祭にて25冠を達成した優秀作品である。
様々な映画祭で監督が多く受けた質問の一つは自伝的な話は込められているのかというのであった。細かい描写と深い洞察力のおかげである。アジア・西欧の観客問わず「自分自身の話」であると共感しているようである。
キム・ボラ監督は「ウンヒ宅のように実際に家族が精米所で一緒に働いていて大変な仕事であったが、その記憶が鮮明に残っている。大峙洞という町は私たちの社会の奇形的な姿を見れるようにした縮小版であった。同じ町に住む子ども同士、アパートの坪数を聞いてみたり、両親の職業をお互いに見抜いていた。幼い頃から‘何かが間違っている’ということを感じていた。人間が生きていく中で最も重要なのは愛と疎通であるが、その地域ではずっと人と人を比較する為、誰も勝者にはなれなかった。人生を生きていくのに本質的に必要なものが何なのか。本当の家は何なのかを語るにはその町が適していた」と語った。
しかし「作家として私の声と感情を込めているが、映画自体はとても緻密に組織された作り話」であるという。
主人公のウンヒは学校と家ではおとなしいが、羽目を外すことも楽しむ女子中学生である。何故、高校生ではなく、中学校2年生を主人公に抜擢したのか。
キム・ボラ監督は「彼女らを‘中2病’という言葉で表現してはならないと考えた。その時感じる人生に対する恐怖、嫉妬そして愛は人間の原型的な感情であり、大人も同じように感じているが洗練された方法で隠しているだけであると考えた」と語った。
ウンヒは劇中で無心な母親と絶対的権力の父親、暴力をふるう兄、問題児の姉をはじめとし彼氏、親友、後輩そして唯一自分を理解してくれる先生 ヨンジまで様々な人間関係を結んでいる。
キム・ボラ監督は様々な人物が自然に登場し、退けるよう台本の構成を考えるのに相当な時間と力を注いだという。
当映画は個人を超え、社会からも目を背けている。背景である1994年は全国で気象観測史上最高の暑さを記録し、聖水大橋が崩壊した年である。聖水大橋崩壊は劇中の後半で登場し、ウンヒにもう一つクエスチョンマークを残している。

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