イ・ヨンエ主演映画『私を探して』…母性愛、人間の本性を扱う
2019年11月22日

児童虐待という素材をスクリーンに移すには、相当な勇気が必要だ。現実は、映画よりもさらに残酷だと言うが、虐待を扱った映画の試演自体が、また別の虐待になってしまう事があるからだ。素材の重さが映画的な面白さを押さえつけてしまう事もある。そんな時は、劇場で座っていること自体苦痛だ。それでも誠実なメッセージが心理的な壁を乗り越え、観客に伝わってくる場合がある。
今月27日に公開される『私を探して(原題:'나를 찾아줘)』(キム・スンウ監督)も、やはり後者に近い。目をそむけたくなるシーンはあるが、一見の価値がある映画だということだ。
6年前に失った息子を見つけるため、孤軍奮闘する母親の物語がこの映画の大まかな内容だ。全体的なストーリーの組み立ては、かなり淡々としている方だ。無駄のない早い展開と緊張感、どんでん返しなど、スリラーとしてのメリットをバランスよく取り入れている。現実と映画的な想像力との間にある様々なエピソードも見る側を夢中にさせる。実際、私たちの身近に起こっていそうな話だと感じてくる。
主な背景は、日差し降りそそぐ穏やかな海辺だが、映画はその中に待ち受ける暗い悲劇を描き出す。
映画全般に敷かれた感情は母性愛だ。看護師である“ジョンヨン”(イ・ヨンエ)は、疾走した息子を目撃したという電話を受け、海辺の釣り場に走っていく。ジョンヨンはそこで怪しい気配を感じ、息子がいることを直感する。しかし、村の人々は、日常の平和を壊す「よそ者」を警戒し、何かを隠そうとする。ジョンヨンは、真実に近づこうとすればするほど困難に見舞われる。
『親切なクムジャさん』(2005)以来、14年ぶりにスクリーン復帰するイ・ヨンエが、切ない母性を表現する。ブランクは感じられない。むしろ感情の深さは一層深まった。希望、冷静、動転、切なさ、怒りなど交差する様々な感情を目つきで表現した演技が印象的だ。砂浜に転がりながら無慈悲な暴力にさらされるシーンなど、肉体的にも簡単ではない演技をやってのけた。
この映画の中で注目すべき部分は、ジョンヨンを取り巻く人間模様だ。 「どうしたらそんなに人より明るく生きていけるのか」と言葉の暴力をふるう周りの人たち、いたずらメール1通で恐ろしい結果を引き起こす子ども、ジョンヨンの悲しみにつけこみ、最も卑劣な方法で利得を得る家族まで。様々な人物を通して人間の本性をあらわにする。
釣り場の村人の面々も同じだ。不正を行う警察のホン警長(ユジェミョン)を中心に権力序列を成し、1つのコミュニティの中で生きる彼らは、子どもの虐待に目をつぶるのはもちろんのこと、搾取も行う。そこを訪れる多くの釣り人もやはり同じだ。奴隷のようにこき使われるこどもを注意深く見る人はいない。彼らの視線はひたすら海に浮かぶ釣竿に注がれるばかりだ。彼らが典型的な悪役として描かれているわけではない。平凡な出来事だからこそ状況はさらに悲惨だ。だから作為的だという感じもする。映画は、他人に対する無関心、非情さと言ったような人間の本性と、公権力の腐敗と言ったような様々な社会問題を凝縮している。
児童虐待を扱う部門は未だにひやひやする。親でなくとも目をそむけたくなる瞬間が多いことだろう。そのような部分を超え、映画の中のメッセージを受け入れることは、全面的に観客の役目である。映画を見た後、行方不明の子供を探すチラシや道で一人泣いている子どもにもう一度目を向けるなら、この映画は、自身の役割を果たしたのも同然だ。
