トロットの女王チュ・ヒョンミ、YouTubeチャンネルに込めた思い…「歌にまつわるエピソードがもったいない」

2020年05月28日

「一時期の私の日課。それは寝る前に、YouTubeに付いたコメントを見る事だった。“このような仕事をしていだたき、本当にありがとうございます”という反応に幸せを感じ、コメントを見ながら眠りにつく。そんな日々を送っていた」
このように述べると、「トロット(韓国の演歌)の女王」チュ・ヒョンミは、寝転がり携帯電話で検索する仕草をして見せ、大笑いした。
「雨降る永東橋(原題:비내리는 영동교)」、「新沙洞のあの人(原題:신사동 그 사람)」、「片思い(原題:짝사랑)」、「ちょっと待って(原題:잠깐만)」、「また会いましたね(原題:또 만났네요)」など多数のヒット曲と共に35年間、大衆に寄り添ってきた彼女が、YouTubeチャンネルを開設してから1年半。
YouTubeチャンネル「チュ・ヒョンミTV」をのぞいて見ると、その規模と構成に驚かされる。単純に歌を伝える窓口ではなく、韓国伝統歌謡を集めたアーカイブに近い。古くは1920年代まで遡り、100年間の歌謡史に残る代表的伝統歌謡を歌って映像に残し、年代別に集めた。
これまでアップしてきた歌の映像だけでも130曲余りに達し、チャンネル登録者数は9万人を超えた。YouTubeチャンネルで記録してきた歌にまつわるエピソード50選を、最近本にもした。彼女のヒット曲「思い出に行くあなた(原題:추억으로 가는 당신)」と同じタイトルのエッセイだ。
江南区(カンナムグ)道谷洞(ドゴクドン)で最近会ったチュ・ヒョンミは「YouTubeの動画1つ1つに込められた話が本になるので、ますます“歴史”に刻まれるような感じがする」とし「責任感を持つようになった」と述べた。これまでリリースしてきたCDは、フルルバムだけでも17枚に上る。彼女は本を出した感想を「(アルバムとは)全然違う、本当に新鮮だった」と笑った。
◇ 「忘れられる歌のエピソードがもったいない...私のYouTubeで勉強したという後輩たちを見ると胸がいっぱいに」
「それ(使命感)はあった。これは趣味でやるのではない、絶対に」
昔の歌を記録するという内容のYouTubeチャンネルを開設した事に、何か使命感のようなものはあったのかという質問に、チュ・ヒョンミは力強くこう答えた。
「歌だけが残り、それにまつわるエピソードは忘れられ、埋もれてしまうのがもったいない」と感じた彼女は、2018年から「チュ・ヒョンミバンド」の音楽監督であるイ・パンソクバンドマスターと共にYouTubeの作業を開始した。同席していたイ・パンソクバンドマスターは「(チュ・ヒョンミが作業を提案した)、仁川コンサートの楽屋を昨日のことのように思い出す」と口を添えた。
もったいないと感じたきっかけは実際、そう遠くないところにあった。チュ・ヒョンミは「私たちのバンドのセッションパートは、それぞれの分野では最高なのに、トロットをすると“雰囲気”が出なかった。わざとらしく演出しているような、それでいて音に迷いがあるような、そんな感じがあった。最高の音楽をするチームでもそうなのに、このまま行けば、私たちの先輩が残してくださった歌を忘れてしまうと思った」と語った。
伝統歌謡特有の情緒を理解するには、そこに漂う時代的な痛みなどの背景やエピソードを知っておく必要があるというのが彼女の話だ。
朝鮮戦争で入隊した兄の代わりに、渡し船を漕いだ少女のエピソードを歌った「少女船頭(原題:처녀 뱃사공)」や釜山の避難生活を終えて乗った列車での悲しみを歌った「別れの釜山駅(原題:이별의 부산 정거장)」、出稼ぎの哀歓「サクランボの木の少女(原題:'앵두나무 처녀)」などを聞かせてくれる理由だ。
「“泣いて越える朴達峠〈パク・ダルジェ〉(原題:울고 넘는 박달재)”の“クムボン”がどんぐりこんにゃく(韓国のどんぐりを材料にして作ったこんにゃくのような食べ物)を包んであげる時、どんな気持ちだったかをどのように知ることができるだろうか。そのような事が忘れられてしまうのがもったいないと思った。ただ楽しく拍手して真似て歌って...それではいけないと思った。先輩たちが残した珠玉のように美しい歌、その背景にあるエピソード、そんな情緒が繋がって、今の私たちがいるのではないだろうか」
1985年にデビューしたチュ・ヒョンミは、第1世代の作曲家・歌手たちと直接交流した、事実上最後の世代でもある。「涙で濡れた豆満江(トゥマンガン)」を歌った故キム・ジョング(1916~1998)とは新人時代、一緒に舞台に立ったりもしたという彼女は「こんなことなら、キム・ジョングさんをつかまえて、もっと話を聞けばよかった」と残念がった。
曲にまつわる資料を探し、歌詞とメロディーを復元する作業は、簡単ではなかった。資料調査をしてきたイ・パンソクバンドマスターは「初期の歌謡は、原本を見つける術がなくなっていたりもした」とし「日本にいるファンの方が、LP以前のレコードである“SP版”で持っている時もあった」と明かした。
派手な楽器編成の代わりに、ギターやアコーディオンなどを使ったシンプルな伴奏で歌うことも、原曲そのままを保存するためだ。
チュ・ヒョンミは「後々、後輩歌手たちがこの歌を歌いたくなった時のために、原曲に近い形で歌わなければいけないのではと思った」と説明した。彼女のYouTubeで昔の歌を勉強したという後輩歌手たちも後を絶たない。
「後輩たちが来て“この曲、先輩のYouTubeを見て勉強しました”と言う時“まさにこれだ”という思いがする。そんな時は本当に胸がいっぱいになる...また、外国にいる方々、故郷を離れている方々の“母親が口ずさんでいた昔の歌”だというエピソードを聞くと、胸がジーンとする」と語った。
◇「トロットの魅力はシンプル...絶対に消えない」
「チュ・ヒョンミTV」には、中学生ファンもいる。チュ・ヒョンミは若いファンの話をして「この歌を、この情緒を知っているこどもがいるなんて」と笑い「トロットというこのジャンルは、絶対に消えない」と力を込めて述べた。
実際に「ミス・トロット」、「ミスター・トロット」ブームに乗ったトロットは、今韓国で最も熱い音楽ジャンルで、中高年だけでなく、若者層にも人気だ。
チュ・ヒョンミは「トロットの魅力は、“シンプルさ”だろうか。単純だから、すべての感情を表現できるし、より包み込むことができる」と語った。韓国人の「共通分母」があるようだとも述べた。
「西洋人に“私たちがその時食べた酸っぱいキムチと言ったら”と言っても理解できないだろう。すべて説明しなければならないが、私たち韓国人には、1つだけ投げかけてもすべて理解できるようなそんな共通分母、情緒がある」と説明した。
しかし、チュ・ヒョンミが歩んできた35年間には、トロットが主流ジャンルから押し出され、疎外された時期もあった。
「これまで疎外され、低迷したジャンルにも関わらず、それでも活動していた後輩がこんなにも多かったのかと思った。再びトロットの舞台で歓声を浴びる後輩たちをとても誇りに思うし“(トロットを邪険にしてきた人たちを)見返してやった”そんな気持ちになる」と話した。
1985年「雨降る永東橋」で華麗なデビューを飾ったチュ・ヒョンミは、トロット低迷の中でも着実にトップの座を守ってきた。中央大楽の薬学部を卒業し、薬剤師として働いたが、歌手の道に飛び込んだ。彼女は「“雨降る永東橋”がヒットし、再び薬局に戻る時間がなかった。そして、この道歩き続けてきた」と振り返った。
ジャンルの「戦国時代」が繰り広げられた1990年代には、新しい色の音楽を披露したりもした。 1991年に発表した「思い出に行くあなた」は、バンド「チョ・ヨンピルと偉大な誕生」のギタリストであった夫、イム・ドンシン氏が作曲し、トロットをもとにしながらも、ロック的な色彩が加えられた。
ガールズグループ少女時代のソヒョン、バンド Guckkastenのハ・ヒョヌなど、後輩歌手たちとジャンルを超えたコラボレーションをしたり、昨年末には、ジャズ風の初キャロル曲も発表した。最近ではバラエティ番組で、チョン・ヨンファのロックバラード「One Fine Day」を熱唱し、話題を集めた。
35年間、変わらない歌声の秘訣を聞くと「特別なケアというのはなく、いつも公演があり、絶えず準備していたからだと思う」と淡々と答えた。
今年も35周年ツアーを計画したが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で、上半期の公演をすべて中止しなければならなかった。代わりに、来月から順次先行公開という形でニューアルバムをリリースする計画だ。
最後に、35年間の歌手生活を振り返っての感想を聞くと「その話をするにはまだまだのような気がする」とやはり素朴な答えが返ってきた。
「イ・ミジャさんが60周年を迎えられ、ハ・チュンファさんも歌手生活35周年を迎えられるのに、私がそのような話をするのはちょっと…。大先輩の軌跡があるので。いずれにしろ、ファンの方々がいらっしゃってこのように続けることができたのだと思う。チュ・ヒョンミという歌手を大切にしてくださるファンの方々も、伝統歌謡を愛してくださる方々もたくさんいらっしゃるので、まだ歌う事ができるのだと思う」と語った。

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