俳優イ・スンジェ、KBS「ニュースライン」に出演

2022年12月22日

今月21日、俳優イ・スンジェが出演と演出を担った演劇「かもめ (原題:갈매기)」の幕が開けた。 
これを受け、イ・スンジェはKBS「ニュースライン (原題:뉴스라인)」に出演。「かもめ」について、これまでの俳優人生について、故カン・スヨンとの思い出などを赤裸々に語った。
 
■「カモメ」はどんな作品?
アントン・チェーホフと言うと、4大文豪の一人で、今作は彼の代表作。
そのため、アレンジなどせず、原作そのままをやってみようという思いで始めた。
アントン・チェーホフの原作『かもめ』がどんな内容で、どんな思想と哲学を持っているのか、これを俳優の演技力でお見せしようと思った。
 
■原作どおりにしたいセリフがあったから演出を決心したと?心に残っているセリフは?
「インスピレーションは病気に弱いから、私はこの不便な田舎で生きていけない。生きている間は田舎に慣れないだろう。夜10時には寝て朝9時に起きる。寝すぎて脳みそが骨にくっつきそう」といったセリフがある。
ただ、このセリフだけでなく、この作品は、穏やかなセリフでも、語彙の中に文学と哲学が詰まっているセリフが多い。
それを俳優がしっかりと表現できるのかどうか、見てみようと思った。
 
■1956年に演劇「地平線を越え (原題:지평선 넘어)」でデビューし、66年の月日が流れた。
大学で哲学を勉強した学生 (イ・スンジェ)が、どのようにして演技者となったのか?そのきっかけは?
私が大学生だった時代 (1950年代)は、財政的に厳しく、余裕ある生活をしている人は多くなかった。
それでも当時は、いい外国作品が多かったのでお金をかき集めて見に行っていた。
韓国映画ももちろん、50年代後半からいい作品は増えていったが、私から見るとまだ時間が必要そうだと感じた。
そんな中、イタリア・ネオリアリズムの作品や、フランスのヌーヴェルヴァーグに参与した若い世代の作品、30年代の古典作、イギリスのシェイクスピア映画などを見て、芸術性を発見した。
それで一度やってみようと始めたのがきっかけ。
だからといってすぐに映画に出られるわけでもないし、勉強もしなければならないため結局、仲間内で演劇をやってみようかと言って始めた。
 
■デビューして20年後に初めて出演料をもらったとか?
当時は、(私たちの演劇は)お金にならなかったため、自ずと出演料ももらえなかった。それが20年間続いた。
78年度に「セールスマン」という作品で初めて助演を務めた。どういうわけかそれがヒットし、再公演も行った。その時、初めて封筒に入った出演料をもらった。
妻に全部渡してしまったのでいくら入っていたかは覚えていない。
 
■70年代はパク・クニョン、イ・ジョンギル、ノ・ジュヒョンといった二枚目俳優が人気だった。何で勝負した?
毎回最善を尽くすしかなかった。
一つの作品でスターになるような立場ではなかったため、自分を磨き認められることでしか勝負できなかった。
いきなり主演になれるわけではない。映画の場合も助演、端役を経て主人公になれるわけで、テレビでも主演になる時もあり、助演になる時もあった。
KBSの作品で忘れられない作品が2つある。
1つは、80年代に私が出演した「風雲 (原題:풍운)」という大河ドラマ。
これで韓国放送大賞を受賞した。
2つ目は、KBSドラマ「普通の人々 (原題:보통 사람들)」。
本当に秀作だった。
 
■最近応じたインタビューで、長い俳優生活を送るには、体と心が健康でなければならないと強調していた。
俳優カン・スヨンさんの死には、心を痛めたことと思う。彼女が小学生の時から見ていたというが、彼女との思い出は?
今でもカン・スヨンの小学生の時の姿が目に浮かぶ。
小学校に通いながら、一人で現場に来ていた。 “お母さんは来ていないの?”と尋ねると、“一人で来た。一人で来てはいけないの?”と答えた。
あまりにも堂々としていたので、撮影中、監督から色々と注意されていた。
しかし、物怖じなどしなかった。
その時、とてもしっかりした子なんだなという印象を受けた。それから成長し、韓国を代表する女優となり、たくさんの活動を通して、様々な賞を受賞した。素晴らしい演技者だったので、本当に残念だ。
 
■演技生活67年目を迎え、やり残したことや今後の目標は?
今更、何か他の分野をすることはないだろうし、ひたすらこの分野を突き進みたいと思っているが、最近KBSドラマのオファーが来ない。
来年こそは出演したい。

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