映画『言葉こそ正しい言葉だ』、6人の監督の“信念ある”冗談
2023年05月18日

6本の短編で構成されたオムニバス独立映画『言葉こそ正しい言葉だ (原題:말이야 바른 말이지)』は、滑稽でも笑えないシーンを通して、韓国社会を風刺する。
労働基本権弾圧や「男性嫌悪」(男性を見下し、差別すること) 論争、地域差別、アニマル・ライツなど、2020年代の韓国社会の繊細な問題を扱いながらも、終始一貫して「鋭く軽い」作品だ。「とげを抱いて蜂蜜を塗る」(評論家パク・ピョンシク)や、「現実を狙った鋭い話術」(評論家チョ・ヒョンナ)という評価のように、信念のある冗談で「乙と乙」が「丙」を抑圧する不条理を圧縮的に描く。
「私たちは倫理の先生ではないから、“私がこんなふうに簡単に言って批判することは正しいのだろうか。でも、それでは生きるのが面白くなくなりそうだ”、こんな感覚だけでも抱かせることができたら、十分だと思う。(映画を見て) 笑い、家に帰る時に“皮肉だな”と思ってくださったら、私の役割は果たせたと思う」
今月15日、映画の公開を控え会ったユン・ソンホ監督は、自身の抱負をこのように語った。2021年秋、社会的問題を扱った映画を作ってほしいというソウル独立映画からの連絡を受け、悩んだ末、同じ思いを持つ監督5人にオファーし、『言葉こそ正しい言葉だ』が始まった。「一つのシーンを、一つの場所で、2人の会話だけで6時間以内に撮ること」。この厳しいリクエストにも、監督たちは快諾し、創意力と問題意識を燃やした。パク・ドンフン監督、チェ・ハナ監督など、同作を手掛けた3人の監督との対話を掲載する。
―『言葉こそ正しい言葉だ』というタイトルが独特だ。このタイトルになった経緯は?
― (ユン・ソンホ監督) オファーを受け、悩みながら家に帰っていたところ、通りすがりの人々の会話が聞こえた。静かで穏やかな町で、とてもハイテンションな方々が、「言葉こそ正しい言葉だ」と話していたのが妙だった。 「言葉こそ正しい言葉だ」と言い出した時に、正しく思いやりのある言葉が出てくるケースはあまりない。普段よりさらに乱暴で、悪い言葉を言いたい時に、前置きとして使う言葉だからだ。誰かを見下したり、引きずり下ろそうとしたりするために何かを言おうとした人が、(この映画を見て) 考え直すきっかけになることを願う。
― (ユン・ソンホ監督) オファーを受け、悩みながら家に帰っていたところ、通りすがりの人々の会話が聞こえた。静かで穏やかな町で、とてもハイテンションな方々が、「言葉こそ正しい言葉だ」と話していたのが妙だった。 「言葉こそ正しい言葉だ」と言い出した時に、正しく思いやりのある言葉が出てくるケースはあまりない。普段よりさらに乱暴で、悪い言葉を言いたい時に、前置きとして使う言葉だからだ。誰かを見下したり、引きずり下ろそうとしたりするために何かを言おうとした人が、(この映画を見て) 考え直すきっかけになることを願う。
―作品の中に地域差別や性差別、居住地による差別など、多様な差別に対する問題意識が込められている。これらを中心素材に選んだ理由は?
― (パク・ドンフン監督) 前向きな緊張を全くせずに生きている人は、自分でも気付かないうちに、映画で表現された差別に、いとも簡単に賛同してしまうということを伝えたかった。最後に、賃貸住宅をつなげたのは、過去に作られた差別と今、現在私たちが生み出している嫌悪を融合させなければならないと判断したからだ。
― (パク・ドンフン監督) 前向きな緊張を全くせずに生きている人は、自分でも気付かないうちに、映画で表現された差別に、いとも簡単に賛同してしまうということを伝えたかった。最後に、賃貸住宅をつなげたのは、過去に作られた差別と今、現在私たちが生み出している嫌悪を融合させなければならないと判断したからだ。
―映画の中の“娘”は、高校教育を受けた中間層だが、自分がしている差別については鈍感だ。嫌悪がどんどん洗練され、巧妙になっているという指摘もあるが、私たちの社会はどのように流れていると思うか。
― (パク・ドンフン監督)「私はあの人たちとは違う」と言いながら、優越感に浸り、地域差別をする人々がいる。ソウルは絶えず発展しているが、ソウル以外の地域で生きている人々に対して、新たな差別が生み出されないかという心配がある。
― (パク・ドンフン監督)「私はあの人たちとは違う」と言いながら、優越感に浸り、地域差別をする人々がいる。ソウルは絶えず発展しているが、ソウル以外の地域で生きている人々に対して、新たな差別が生み出されないかという心配がある。
―父と娘の対話が終わった後、突然誰もいない食卓にシーンが切り替わるが、どんな意図なのか。
― (パク・ドンフン監督) 一番よく受ける質問だ。「賢い神経質」と言えばいいだろうか。
「今ここで終わらせよう。いつまで、こんなことをするのか」といった思いがあり、消しゴムで消す私の神経質と答えてきた。しかし、実はこれも正確ではない。演出者は、アイデアが思い浮かぶ時、具体的な文章が浮かぶのではなく、映画を作っていきながら (答えを)探すからだ。あるいは、「悲しい恐怖」のような、あなたもこんなに凶悪な人になり得るという恐怖や、「消されてしまう」という恐怖を感じさせたかったように思う。
― (パク・ドンフン監督) 一番よく受ける質問だ。「賢い神経質」と言えばいいだろうか。
「今ここで終わらせよう。いつまで、こんなことをするのか」といった思いがあり、消しゴムで消す私の神経質と答えてきた。しかし、実はこれも正確ではない。演出者は、アイデアが思い浮かぶ時、具体的な文章が浮かぶのではなく、映画を作っていきながら (答えを)探すからだ。あるいは、「悲しい恐怖」のような、あなたもこんなに凶悪な人になり得るという恐怖や、「消されてしまう」という恐怖を感じさせたかったように思う。
―作品でいわゆる「男性嫌悪」論争を正面から扱った点が印象的だ。
― (チェ・ハナ監督) 2021年末に、演出のオファーを受けた。2020~2021年を過ごしながら最も重要だと考えた問題だった。その過程自体が、とても喜劇的だと思ったし、笑ってやり過ごさなければならないことに、きちんと対応できず、まだ社会にその余波が残っていると思った。女性やフェミニズムについて言及した瞬間、タブーになってしまうことなどが例だ。言葉に注意しながら不必要な検閲を続け、本当に必要な話が水面上に出せない雰囲気が蔓延していると思う。
― (チェ・ハナ監督) 2021年末に、演出のオファーを受けた。2020~2021年を過ごしながら最も重要だと考えた問題だった。その過程自体が、とても喜劇的だと思ったし、笑ってやり過ごさなければならないことに、きちんと対応できず、まだ社会にその余波が残っていると思った。女性やフェミニズムについて言及した瞬間、タブーになってしまうことなどが例だ。言葉に注意しながら不必要な検閲を続け、本当に必要な話が水面上に出せない雰囲気が蔓延していると思う。
―不買運動などに対する批判意識も目立つが?
― (チェ・ハナ監督) 最近、人々が市民としてのアイデンティティよりも、消費者としてのアイデンティティを優先し、それを当然だと考えているということを実感する。不買運動のような集団行動が、実際に社会で公共線を守るのに必要な役割をする時もあるとは思う。しかし、ある時は市民として私たちが何をすべきか、どんなことが正しくて正しくないのかなどと関係なく、自身の気分が最も重要な判断の基準となり、消費者の権力を行使することもある。
例えば、障がい者や移住労働者に対して嫌悪発言をする人は、「正しくない用語を書いたので、やめましょう」ではなく、「問題だから書かない方がいい」という論議をする。ところが (「男性嫌悪」論争で)、その過程が省略されたということは、表現がただの言い訳だったということだ。「男性嫌悪」論争当時、企業や公共機関が社会的な責任を負って対応しなければならなかったと思うが、そんなことは考えず、すぐに不満を静め、消費者の反感を買わないことを最優先として対応した代価を払っていると思う。
― (チェ・ハナ監督) 最近、人々が市民としてのアイデンティティよりも、消費者としてのアイデンティティを優先し、それを当然だと考えているということを実感する。不買運動のような集団行動が、実際に社会で公共線を守るのに必要な役割をする時もあるとは思う。しかし、ある時は市民として私たちが何をすべきか、どんなことが正しくて正しくないのかなどと関係なく、自身の気分が最も重要な判断の基準となり、消費者の権力を行使することもある。
例えば、障がい者や移住労働者に対して嫌悪発言をする人は、「正しくない用語を書いたので、やめましょう」ではなく、「問題だから書かない方がいい」という論議をする。ところが (「男性嫌悪」論争で)、その過程が省略されたということは、表現がただの言い訳だったということだ。「男性嫌悪」論争当時、企業や公共機関が社会的な責任を負って対応しなければならなかったと思うが、そんなことは考えず、すぐに不満を静め、消費者の反感を買わないことを最優先として対応した代価を払っていると思う。
―映画祭や共同体上映などで、劇場公開前に観客に会ったと思うが、記憶に残った反応はあるか。
― (パク・ドンフン監督) 全北 (ジョンブク) 茂朱 (ムジュ)と光州でのことが記憶に残っている。茂朱では、ある観客が光州で働いていると言いながら、映画の中で言及される光州の国立アジア文化殿堂について語ってくれた。うまく答えることができなかったが、今考えてみると、その方は質問していたのではなく、「なぜそのことを知っていたのか」と喜んでくださっていたのだと思う。「光州は故郷だから、自分の話をしてくれたようで嬉しかった」、「私や私の両親のわだかまりを解いてくれてありがとう」、「お疲れさま」といった反応が記憶に残っている。
― (パク・ドンフン監督) 全北 (ジョンブク) 茂朱 (ムジュ)と光州でのことが記憶に残っている。茂朱では、ある観客が光州で働いていると言いながら、映画の中で言及される光州の国立アジア文化殿堂について語ってくれた。うまく答えることができなかったが、今考えてみると、その方は質問していたのではなく、「なぜそのことを知っていたのか」と喜んでくださっていたのだと思う。「光州は故郷だから、自分の話をしてくれたようで嬉しかった」、「私や私の両親のわだかまりを解いてくれてありがとう」、「お疲れさま」といった反応が記憶に残っている。
―(チェ・ハナ監督) 慶尚北 (キョンサンブク)道 漆谷 (チルゴク)郡 倭館邑 (ウェグァンウプ)にある男子中学校で共同体上映をし、会話を交わした。普段、男子中学生に会うことがないので、メディアの中のイメージだけで反応を予想したが、どんな観客との対話でも、このような熱い反応を受けたことがなく、(先に予想していたことを) 反省した。
「これは、なぜ出てきたのか」、「これはどんな意味なのか」と聞いてくれてありがたかった。大人もこれくらいの興味を持つ必要がある話なのではないだろうか。人々は「これは全部知っている」、「それは全て間違っていて、これが正しい」と、自分が属する陣営でしか考えない。もっと知ろうとしない。映画にも正解に近い映画はあるが、しつこく質問を投げかける映画もある。「これは本当に正しいのか」、「これでよかったのか?」と考えさせる映画は、力があると最近、考えるようになった。今作も、様々な質問を込めている。観客たちも、そのような質問を一つずつ受け止めて帰ってほしい。
「これは、なぜ出てきたのか」、「これはどんな意味なのか」と聞いてくれてありがたかった。大人もこれくらいの興味を持つ必要がある話なのではないだろうか。人々は「これは全部知っている」、「それは全て間違っていて、これが正しい」と、自分が属する陣営でしか考えない。もっと知ろうとしない。映画にも正解に近い映画はあるが、しつこく質問を投げかける映画もある。「これは本当に正しいのか」、「これでよかったのか?」と考えさせる映画は、力があると最近、考えるようになった。今作も、様々な質問を込めている。観客たちも、そのような質問を一つずつ受け止めて帰ってほしい。
