カン・ジェギュ監督の映画『1947ボストン』、家族が気楽な気持ちで楽しめる映画

2023年09月12日

1936年、ベルリンオリンピックのマラソンでソン・ギジョンが世界新記録を立て、金メダルを取った事実は韓国人なら誰でも知っている。 しかし、1947年にソン・ギジョンが自身の後を継ぐ有望株ソ・ユンボクの監督になり、アメリカのボストンマラソン大会に出場し、ここでソ・ユンボクが太極マークを漬けて優勝した事実を知る人は多くない。
この話を『シュリ』(1999)や『ブラザーフッド』(2004)で有名なカン・ジェギュ監督がスクリーンに再現した。彼の新作『1947ボストン(原題:1947 보스톤)』でだ。
この映画はベルリンオリンピックで優勝したソン・ギジョン(ハ・ジョンウ)が表彰台に立った場面から始まる。
彼は、ボストンマラソン大会に出場する国家代表チームの監督を引き受けてほしいという提案を受け入れ、ソ・ユンボク(イム・シワン)の訓練を担当する。ベルリンオリンピックの時に銅メダルを取ってソン・ギジョンと共に表彰台に上がったナム・スンリョン(ペ・ソンウ)が助っ人に乗り出す。
この映画の時間的背景は“開放政局”と呼ばれる混乱した時期。開放直後に38度線を境に北側にはソ連軍、南側には米軍が入り、1947年当時南側は米軍政の統治を受けた。大韓民国政府は1978年に樹立される。
ソン・ギジョンが率いる代表チームのボストンマラソン大会出場は、最初からさまざまな難関にぶつかる。アメリカで韓国は“難民国”に分類され、代表チームの入国に巨額の保証金が必要で、現地の保証人まで立てなければならない。この映画ではボストンの事業家である韓国僑民のペク・ナムヒョン(キム・サンホ)が保証人として乗り出す。
紆余曲折の末にソン・ギジョン、ソ・ユンボク、ナム・スンリョンはアメリカ軍用機に乗り、グァム、ハワイ、サンフランシスコを経てボストンに到着し、ペク・ナムヒョンが合流する。
映画は、代表チームの悲しみを重ね、ハイライトであるボストンマラソン大会に向かっていく。
映画の後半部に出てくるマラソン競技の場面は15分ほどの分量で、実際の競技を見ているような感じを与える。ソ・ユンボクが優勝するという事実を知っている観客も相当な迫力を感じることだろう。
ソ・ユンボクが決勝のラインに到達する瞬間、ソン・ギジョンとソ・ユンボク、ひいては当時韓国人が経験したすべての悲しみが一気にあふれ出て、強烈なカタルシスを抱かせる。誰かは韓国人の悲しみと苦痛を美しさに昇華させると言ったが、ソ・ユンボクはマラソン競技の最後のスパートとして爆発させるようだ。
暴力や扇情的な要素がなく、誰もが簡単に理解できる単純な話の構造、悲しみと苦痛を乗り越えた人々が与える感動、飛行機に乗るのも容易でなかった時代、アメリカに初めて行った韓国人たちが右往左往しながら醸し出す笑いは、『1947ボストン』を家族が気楽な気持ちで楽しめる映画にさせる。
ソン・ギジョンを演じたハ・ジョンウは、この映画の最初から最後まで話をリードしていく。彼の節制された演技は過去の挫折を乗り越え、新しい希望を作り出すソン・ギジョン役にピッタリだ。
イム・シワンは、マラソン選手をかなりリアルに演じた。スタートラインに立ったソ・ユンボクの上気した表情と肉体的苦痛され忘れたかのように走る姿は、実際のマラソン競技の感じを醸し出すのに一役買っている。1997年春川(チュンチョン)国際マラソン大会で韓国女性マラソンの新記録を立てたクォン・ウンジュ選手から3か月間、現場指導を受けた。
カン・ジェギュ監督は、千万映画である『ブラザーフッド』に続き、今回も韓国現代史を素材にした作品を出した。彼は11日の試写会で、『1947ボストン』について、「人間が大切な夢を兼ねていく勝利の挑戦」と紹介した。
この映画の空間的背景はアメリカのボストンだが、撮影はオーストラリアのメルボルンで行われた。ボストンマラソン大会は春に開催されたが、映画は冬に製作されロケ地を南半球で見つけたという。
『1947ボストン』は、キム・ジウン監督の『クモの巣(原題:거미집)』、キム・ソンシク監督の「チョン博士退魔研究所:ソルギョンの秘密(原題:천박사 퇴마연구소: 설경의 비밀)』と共に今月27日に韓国で公開され、秋夕(チュソク、中秋節)の連休の書き入れ時を迎えた劇場街で競合を繰り広げる予定だ。

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