映画『君と私』、君は私になり私は君になる愛の物語

2023年10月12日

“セミ”(パク・ヘス)は、明るく笑っていても友達が自分の話を聞いてくれないと、すぐにすねる女子高校生だ。

彼女の感情は、特に親友の女の子 “ハウン”(キム・シウン)の前で表れる。

ハウンがイヤホンを鼻の穴に入れてイタズラすると、あどけなく笑うが、彼女に秘密があると感じると泣き出してしまう。

セミがなぜこのような行動を取るのかは、すぐに察することができる。

セミがハウンを愛しているからだ。しかし気持ちを伝えることができず、もどかしさだけが募っていく。

ハウンに対しての寂しさは次第に恨みとなり、やがて性をも越える。自分の気持ちに気づいてくれないハウンに対してセミが怒っているように見えるが、実は素直になれない自分自身に対して怒っているのだ。

俳優チョ・ヒョンチョルが演出した初の長編映画『君と私(原題:너와 나)』は、ハウンに思いを寄せるセミの視線を映し出す。10代の女の子の心の中をのぞき見ているという錯覚を起こすほど、2人の女子高校生の愛は繊細に描かれる。

しかし映画は、観客にときめきを与えるだけで終わらない。最も美しい愛の物語を見せながらも、最もつらい悲劇を用いて、ときめきを奪っていく。

妙な不吉さは、序盤から散りばめられる。

映画は、修学旅行の前日に悪夢を見たセミを見せながら始まる。教室の机に突っ伏して寝るセミは、自分でも気づかぬうちに涙を流しながら目を覚ます。柱時計は、“時間がない”とでも言うかのようにカチカチと音をたてている。

彼女が早退し慌てて会いに行った人は、足をケガして入院しているハウンだ。ハウンが死んだ夢を見たセミは、彼女を一人にするのが不安で、修学旅行に一緒に行こうとせがむ。ハウンはケガした足を見せながら無理だと言うが、セミの説得に負け結局、修学旅行の費用を用意することにする。

ハウンは、ビデオカメラを中古で出品するも、気乗りしない様子だ。ハウンと一緒にいたいセミは悲しみ、また心と裏腹の言葉でハウンはもちろん、自分をも傷つける。修学旅行に行く前に必ず伝えようと誓った愛の告白は、どんどん言い出しにくくなる。

2人の感情が熱くなるほど、緊張感も高まる。単純にこの愛が成就するのか、壊れるのかが気になるからだけではない。

暖かい春の日、高校生、安山(アンサン)、修学旅行、済州(チェジュ)島…。映画が一つずつ投げるヒントが結局、ある事件を思い出させるからだ。

セミとハウンは、用意された悲劇に向かって走っていく。2人がその日、済州島に到着できないことを知っているため、彼女らの愛は初々しいというより、切なく迫ってくる。“修学旅行という道を選択するな”という切実な思いは、大きくなるばかりだ。

この映画には、夢の話がたくさん登場する。

かすんだ映像が、夢幻的な雰囲気を最大化する。そのためセミとハウンが経験することが夢なのか、現実なのか、幻想なのか、それともあの世でのことなのか、境界がはっきりしない。

セミが夢で見たという死者の正体も不明だ。草原に倒れている人は、セミにもなるしハウンにもなる。

セミは夢で、しばらくハウンになったりもする。ハウンの体でセミを思い、ラジオから流れるニュースを聞いて涙を流す。

君は私になり、私は君になるという愛の物語を通してチョ・ヒョンチョル監督が言おうとしたのは何なのだろうか。おそらく忘れられていくセウォル号の犠牲者に対する慰めと哀悼ではないだろうか。最もつらい悲劇を忘れずにいようという呼びかけを、最も美しい愛の物語で表現したように感じる。

映画は2人の主人公だけでなく、修学旅行を前日に控え浮かれる子供たちもバランスよく映し出す。友達と買い物をしてはしゃいだり、運動場を走り回ったり、髪を切ったりする。セミが両親と笑いながら囲む夕食も、彼女にとっては平凡な日常の一つだっただろう。

『君と私』という映画のタイトルは、セミとハウンを意味する言葉でもあるが、2人を見守る私たちを指す言葉でもある。もしかすると君だったかもしれないし、私だったかもしれない人を覚えておくべきだと映画は語る。

同映画は10月25日に韓国で公開され、上映時間は118分、12歳以上観覧可だ。

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