“永遠のオッパ”キム・ウォンジュン、ラジオDJや子育て奮闘などその魅力に迫る
2020年10月02日

90年代にアイドル歌手としてデビューし、多くの女性たちの心をときめかせたキム・ウォンジュン。本業の歌手としてはもちろん演技活動まで、絶えず挑戦し常に新しい姿を見せてくれる“永遠のイケメン”に、さまざまな話を聞いてきた。
90年代の歌謡界を席巻した“永遠のオッパ”キム·ウォンジュンは、デビュー28年目にして正式にラジオDJを務め、昨年1月1日からKBS Happy FMの「キム·ウォンジュンのラジオスター(原題:김원준의 라디오스타)」に挑戦した。
彼は「一番大きな夢がラジオスターになることだった。やっとその夢に一歩近付いたようでとてもうれしい」と出演への感想を明かした。
DJは生放送の中でやることが多い。目の前のモニターを見ながら、スタッフの指示やリスナーからのメールなどのデータもチェックしながら番組を進行しなければならない。
そういったすべての作業をこなすキム·ウォンジュンは「10年早くやっていたらもっと観察力があったのに、僕も少し年を取ったので、放送が終わった後は目が痛い。疲労感がたまる」と等身大の姿を見せた。
以前とは異なり、最近はリスナーからの便りはリアルタイムで届くデジタルシステムになった。しかし懐かしい感性を蘇らせてくれたファンたちがいたという。
彼は「この番組を広めるイベントをしたところ、リスナーの家族の方も参加することに。『こうして噂を広めた』とその様子を見せてくれ、その家族の方たちが直筆の手紙や官製はがきを書いて送ってくれていた。とても感動した」と説明した。
“官製はがき”という響きは実に久しぶりだ。「わざわざ300ウォン切手を貼って送ってくれた」と付け加えたキム・ウォンジュンは「小さい頃やアナログ時代は、誰よりも目立つハガキを番組に送り、それが採用されたりすると拍手をしながら喜んだ思い出がある。リスナーの皆さんがそれをそのまま再現してくださった」と笑みを浮かべた。
「キム·ウォンジュンのラジオスター」は、毎日夜6時から8時まで、リスナーのエピソードと思い出が詰まった音楽で構成されている。DJをスタートしたばかりだが、ラジオ・デイリー検索ワードランキングで1位まで獲得し、多くの関心を集めたキム・ウォンジュン。しかし彼のDJ進出を快く思わなかった人がいるという。
ずばりそれは長女のイェウンちゃんだった。誕生日パーティーに行ったところ、少しすねたような表情をしていたという。
キム·ウォンジュンは「2時間前には出発しないといけないから育児をしていた時間に出勤する。娘はパパと遊びたい年頃なのに僕が仕事でいなくなってしまうからストレスを溜めてしまっていたようだ。だから、いつも倍以上、いや4倍以上の父親の役割を果たさなければいけない。何もしてあげられいない分」と心境を述べた。
体力的には大丈夫なのか心配にもなるが、彼は「少し涙を拭いても…?」と、袖で涙を拭く仕草をして笑いを誘いながら、「父親は本当に簡単な職業ではない。恐らく世のお父さん方も共感されると思う」と本音を明かした。
2017年1月に数え年45歳で娘のイェウンちゃんをもうけ、遅い年齢で父親となったキム·ウォンジュンだが、最近は新しい分野の才能を発見したという。それはお医者さんごっこの患者役だという。
彼は「ものすごく上手い。横になっていればいいから」といいながら、「ずっと起こしてくる。聴診器を当てたり、注射もたくさん打ってくる」と娘が孤軍奮闘する姿を見るのが楽しいという。娘と遊びながら楽に横になることもできる、実に最高の遊びを見つけた。
キム・ウォンジュンといえば、持ち前の“最強童顔”がトレードマークだが、多くの羨望を集めながらも人知れぬ悩みもあったという。
キム・ウォンジュンは2010年から「M4」という4人組のプロジェクトグループで活動をしていた。「ユリサンジャ」のイ・セジュン、「CAN」のペ・ギソン、ソロ歌手のチェ・ジェフンという他のメンバーと比べ、誰が見ても彼が末っ子感があり、かなり年下のイメージがあった。
実際には1973年生まれの彼は1972年生まれの他の3人とはほとんど変わらないのだが、「僕がタメ口をきいて怒られたこともある。年配の方からも叱られたりして、まったく信じてくれなかった」というエピソードも飛び出した。
キム·ウォンジュンの最終的な夢は何なのだろうか。
彼は「90年代はまさしく“ビデオスター”だった。今は本物のラジオスターに生まれ変わることが夢であり、バケットリスト」だと語った。
この「キム·ウォンジュンのラジオスター」は惜しまれつつも今年8月で終了を迎えた。キム·ウォンジュンはこのような願いを叶えながら、また新しいステージで輝き続けるだろう。
