映画『私が死んだ日』のパク・ジワン監督、「この映画は運命。満を持してやっと完成した」

2020年11月16日

信じていた夫の裏切りと業務中の事故などで空白期間を送った刑事ヒョンス(キム・ヘス)は復職を控え、懲戒レベルを引き下げるために、少女の失踪事件に方を付けてこいという指示を受けた。
父親が犯した事件の主要証人として保護プログラムにより人里離れた島で1人暮らしをしていたが、台風が吹き荒れた日に遺書を残して消えた女子高校生セジン(ノ・ジョンウィ)。
死亡として書類をまとめれば済む話だったが、ヒョンスは保護担当刑事と連絡が途絶えたセジンの家族、セジンを最後に目撃した島の住民の順天宅(イ・ジョンウン)に会い、セジンの行方を追跡しながら、セジンが1人で耐え抜いた苦痛や真実と向き合うことになる。順天宅とは順天(スンチョン)地域出身の女性を意味する。
映画『私が死んだ日』はそんなヒョンスを追う物語。
ヒョンスの後を追っていくと彼女がそうだったように、自分だけが抱えた傷や苦痛をのぞき見て慰めてくれる。
初の長編映画を打ち出したパク・ジワン監督は「大なり小なり誰もが口に出せない自分だけの苦痛を抱え生きているが、誰かが『それが見える』と話してくれれば、お互いに慰めになるのではないかと思った」と述べた。
ヒョンスが経験する離婚は多くの人々が経験しうるありふれたことだが、ヒョンスが感じる苦痛は彼女だけのものであり、その苦痛を経験した後のヒョンスにかつてなら簡単に書類で処理することができた事件とは異なるように見受けられる。
ヒョンスをはじめとする劇中のキャラクターは、自分の苦痛と同じくらい他人の苦痛に深く共感する人物たちだ。
この映画は、パク監督が韓国映画アカデミーの卒業作品となる『女子高生だ(原題:여고생이다)』で2008年の「ソウル国際女性映画祭(Seoul International Women's Film Festival)」でアジア短編最優秀賞を受賞してから12年ぶりに輩出した作品。
2012年に草稿を書いたものの依頼された別のシナリオに携わっている間に埋もれていた。しかし忘れかけていた時に再び執筆に入り、数年経ってふと思い出して書き出したりするなどし、2018年になって現在の製作者と出会った。
パク監督は「多くの人々がそれぞれの欲望を投影するのにいいシナリオ。誰かは父親の犯罪の物語を膨らませようとし、誰かはヒョンスをもう少し極限状況に押し込み克服記にしようとして…。私は何の関係もない人々がお互いに影響を及ぼす物語にしたかったし、今の製作者がそのストーリーを簡単に面白く作るため一緒に悩んでくれた」と述べた。
映画好きな彼女は高校時代、映画に携われると思い新聞放送学科に進学し、卒業後には映画会社に就職。マーケティングの仕事をした。
実際に映画が作られる現場で見て学び、結局映画を作らなければならないという思いで、一足遅れて韓国映画アカデミーに進学し、卒業後の初めての長編を公開するまで短くない時間が流れた。
パク監督は「映画を作りたいが監督になるのはとても難しく、誰かが機会をくれるのを待たなければならない時間は本当に至難で絶望的だった」と笑った。
そして「来月には、来年には、私の順天宅が来る。私はその順天宅を待つ、私の元に順天宅が来ると信じて待つ気持ちでこのシナリオを書いた」と告白。
パク監督が順天宅を待ったという言葉の意味は、映画を観ると分かる。
産業的ではなく、馴染みのない物語が好きで書いておいたものの、心配と疑問を払拭できなかった時、救いの女神のようにキム・ヘスが出演をすると言い出した。
パク監督は断られてもキム・ヘスにシナリオを渡したかったという。「線が太いキャラクターをたくさん演じてきたが、見るたびに彼女の悲しい目や繊細な表情の数々が好きになり、そんな表情をずっと見たかった」と述べた。
シナリオを渡した後、ミーティングの連絡も出演するという回答も早くきた。
投資の話が進まず苦労した時もキム・ヘスが最後まで持ちこたえて待ってくれた。
キム・ヘスはインタビューで「一番つらかった時期、運命のように出会った映画」だと述べた。
パク監督は「編集する間に彼女のドラマが放送されていたが、劇中のキム・ヘスは私が知らない完全に別人だった。撮影する間は知らなかったが、その時間ずっとヒョンスとして存在してくれたのかと後になって分かり、本当にありがたかった」と述べた。
そして「私たちが一緒に使う言葉がある。みんな『この映画の運命』だという。長い時間を待ったことも必要な時間だったし、このような縁で満を持したやっと完成した物語だと思っている」と振り返った。

前の記事 エンタメ情報一覧へ 次の記事