映画『玆山魚譜』主演ソル・ギョング、「やっと力を抜いて演技ができるように」

2021年03月26日

イ・ジュンイク監督のモノクロ時代劇映画『玆山魚譜(原題:자산어보)』で時代を先取りした朝鮮の学者チョン・ヤクジョン(丁若銓)を演じた俳優ソル・ギョング。初めての時代劇だったが、画面の中でも外でもひときわ穏やかに見えた。
25日、オンラインで行われたインタビューで彼は「アングルの中で俳優たちと遊ぼうと思った」と述べた。
そして「実在した人物をその名の通りに演じるのはプレッシャーだ。『私がチョン・ヤクジョンだ』という思いで役作りはしなかった。ただ『島に入って他の人々に混じって遊ぼう』と思った。私が精通していないのに、精通した姿を見せることはできないし、そう見えたなら台本に忠実だったと言うしかない。それが他の俳優との呼吸だったのだろう」と語った。
『玆山魚譜』の前にも、何度か時代劇のオファーがあったが断った。『ソウォン/願い』で縁を結んだイ・ジュンイク監督ともう一度作業をしたかったから選択しただけで、『玆山魚譜』が最初から完全に気に入っていたわけでもなかった。
ソル・ギョングは「珍しい題材ではあるが、魚類の話は惹かれるタイトルではなかった」とし、「初めはヤクジョンのセリフを中心に読み、全体を見ることができず、二度三度と読み返しながら感情に浸り、いつの間にか心が動いて涙が出た」と述べた。
さらに「チョン・ヤクジョンは身分も賃金も必要ないという考えを持った急進的な人だった。そんな考えを書いたら命を保つことができないから『玆山魚譜』のような本を書くしかなかったのだろう。またそんな水平的思考を持っていたけど、黒山島(フクサンド)で住民たちに出会ってから実践に移すことができ、それと同時に生まれつきの両班(ヤンバン)には限界があると考えた」と明かした。
ソル・ギョングは道袍(通常の礼服)を着て冠を被り、ひげを付けた姿が似合うかとても緊張をしたという。彼は「慣れないことに果敢になれず心配が多い」とし、「最初はどう見えるか心配だったが、数日撮影するうちに慣れてきて楽になった」と述べた。
映画『名もなき野良犬の輪舞』で初めてスリーピーススーツを着て、オールバックに髪を撫でつけた時も、最初のぎこちなさは同じだった。彼は「『名もなき野良犬の輪舞』以来、最近はスリーピースもよく着て、髪も撫でつけている」と笑みを浮かべた。
そして「『名もなき野良犬の輪舞』の前まではいくら演じていても焦りが生じた。いつ辞めるべきか悩みながら過ごしていた。ピョン・ソンヒョン監督に会った時『階段を踏みながら降りたいが、崖から落ちそうだ』と話したら、『階段で降りられるようにしてあげましょう』と言われた。2つの作品しか撮っていない監督から。その時に信頼が生じ、おかげでうまく乗り越えられたし、『名もなき野良犬の輪舞』の後は気持ちも楽になって、年を取りながら肩の荷を下ろして生きている。以前は神経質だったとしたら、今は気持ちが丸くなり、良いことだけを見たい。そんなふうに変わった」と述べた。
『名もなき野良犬の輪舞』は興行成績を上回る熱いファンダムを作り上げ、ソル・ギョングに俳優人生の第二幕を開いた作品になった。
ソル・ギョングは「自虐する傾向があった。『ペパーミント・キャンディー』の時は本当にひどかった。当時はそれがそのキャラクターに合うと思った。でもずっとその枠の中にいたのだと思う。映画も異なり、キャラクターもそれほど心地悪くないのに、ずっと周りまで窮屈な思いにさせていた。強い感情を表現しようとすると、前日からそれを噛みしめて、どれだけつらかっただろうか。私や周りの人たちも。最近はわざとその感情から離れて、瞬間に集中するようにしている。むしろ他のことを考えるために周りの人たちとふざけたりしていたら、気が楽になった気がする」と振り返った。
漢陽(ハニャン)大学の演劇映画学科出身で、漢陽レパートリーで舞台デビューをしたが、俳優人生の第一幕のスタートはミュージカル『地下鉄1号線』だ。
彼は「大学を卒業して大学路(テハンノ)に出て行き場のない私を見出してくれたのが(製作・演出を務めた)キム・ミンギ代表だった。私が演技をお見せしたこともないのに、ポスター貼りをしている人に、『地下鉄1号線』をやろうとおっしゃった。私にとてつもないチャンスの場を与えてくださった。その時から俳優としての道が訪れたのだと思う」と語った。
デビュー30年を迎えようとする彼を一日一日動かすのは“汗”だという。
「撮影が何時であっても、3、4時間前に起きて汗を流す。汗をかきながら力を抜いて撮影現場に行くが、撮影があってもなくても一日も欠かさず守るルールになった」

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