50年のキャリアを持つ女優コ・ドゥシム、映画『輝く瞬間』でメロジャンルに挑戦…「悩む余地がなかった」
2021年06月22日

俳優人生50年。放送局3社の演技大賞をすべて受賞した唯一の俳優にも晴らせなかった未練があった。
映画『輝く瞬間(原題:빛나는 순간)』で恋に落ちた70代の海女ジノクを演じた女優コ・ドゥシムは、ついに未練を晴らしたというように笑みを浮かべた。その笑顔はまるで映画の中のジノクのようだった。
映画の公開を控え、21日にソウル平倉洞(ピョンチャンドン)の自宅近くのカフェで会ったコ・ドゥシムは、「メロ(恋愛モノ)の主人公は、若い頃にもやらせてもらえなかったのに、この年でできるとは想像もしていなかった」と述べた。
映画は済州(チェジュ)の海女ジノクが、自分を取材しにソウルから訪れたドキュメンタリー番組プロデューサーのギョンフン(チ・ヒョヌ)と出会い、お互いの深い傷を癒しながら、温もりを分かち合う特別なロマンスを盛り込んだ。
済州島出身である彼女は、「コ・ドゥシムと言えば済州島で、コ・ドゥシムの顔が済州の風景」というソ・ジュンムン監督の言葉を伝えながら、「その言葉を聞いて出演できないと言う人がどこにいるだろうか」とし、「私がすべきだと思った」と述べた。
末息子と同世代である30代俳優とのラブシーンには、少し戸惑ったのではないかとの問いに、コ・ドゥシムは豪快に笑いながら「まったくそんなことはなかった」と述べた。
そして「女優として50年を過ごしてきたが、メロができなかったこともあり、そのジャンルに渇きがあった。赤ん坊の母親から始まり、長寿ドラマで、長男の嫁を20年も演じてきたからなのか、未練といえば未練になる。メロができない理由は何か、悩む余地がなかった」と振り返った。
コッチャワルの森(韓国の済州島漢拏山の中腹にある森)、燦々と輝く日差しの下でジノクの膝を枕にして横になったギョンフンとの切ない時間は美しく盛り込まれた。しかし実際は、チャドクガ(椿虫)に刺されて体中にじんましんが出、2週間も苦労したと彼女は伝えた。
2004年の映画『初恋のアルバム 〜人魚姫のいた島〜』でも済州の海女役を担ったが、当時の状況や意気込みとは完全に違った。
「中学の時、海におぼれて水を大量に飲みこんでから、水が怖く嫌いになったのだが、その当時もまだ克服できていなかった。シナリオを受け取ってみると、水に入るシーンがなかったので引き受けたのに、後になって1シーンだけ水に入ってくれないかと言われた。時間を割いて頑張って練習して撮影に臨んだが、台風が済州島に来てしまい、その1シーンの撮影のため東南アジアまで行くことになった。しかし結局、恐怖に襲われてできなかった。今回は代役を使ってできることではないので、歯を食いしばって死ぬ気でやろうとした。『私は何歳なのだろうか』とも思ったが、『今、後ずさりしたら、生きているうちはできないだろうな』と思ったからだ」
彼女は「故郷の海ということに加え、海女の叔父さんたちが、みんな済州の人のため、安堵感が大きかったせいか、依頼されたことを全てやり、私が満足しなければもう一度やると言いながらやった」とし、「他の海に行ってやれと言われていたら、できたかどうか分からない」と述べた。
故郷の済州に対する彼女の深い愛情は、演技をする自身だけでなく、撮影を見守っていたスタッフ全員を感動させたりもした。
ギョンフンのカメラの前で、これまでの人生を話しながら切り出したジノクの深い傷は「済州4.3事件」だった。
1948年に起こった残酷な出来事を、1951年生まれの彼女が直接経験したのではないが、記憶もままならない幼い頃から聞いた話は凄惨だった。
彼女の口を通して当時の惨劇が、まるで糸が解けたように切なく語られた。
「あまりにも胸が詰まって、今でもどうやって演じたかなと思う。満足というよりは依然として心残りがある。自分がそうだからといって、悔しい思いで亡くなった方々の心の傷が癒されることはないが、少しでも慰めになればという気持ちだった。そこにいたスタッフたちとその感情を分かち合った。もっとやれと言われたら、もっとやれるかもしれないが、監督が辞めましょうと言ってくれた」
次回作は再び済州を背景にしたドラマや、別の映画だが、新型コロナウイルス感染症の影響で、スケジュールが遅れている。
彼女は「どんな役でもできないことはない」とし、「年を取った俳優には引き出しが多いので、作家たちがたくさんキャスティングしてくだされば嬉しい」と述べた。
