『閑山:龍の出現』のキム・ハンミン監督、「初期のイ・スンシンは外柔内剛の士人型」
2022年08月02日

「イ・スンシン(李舜臣)将軍に会ったら、まずクンジョル(韓国の最も丁寧なお辞儀)を3回して、迷惑でなかったか聞きたい」
最近、ソウル・鍾路(チョンノ)区のあるカフェで会ったキム·ハンミン監督は、「『乱中日記』を読むと、心が安らぐ」とし、「イ·スンシンと彼の海戦が、今、大韓民国に暮らす私たちに肯定的な意味をもたらすような映画を作りたかった」と述べた。2014年作の『バトル・オーシャン 海上決戦』から、現在韓国で公開中の『閑山:龍の出現(原題:한산: 용의 출현)』まで、イ・スンシンに10年近い時間を注ぎ込んでいることに対しても「原動力はイ・スンシン」だと述べた。
『閑山:龍の出現』は、イ・スンシン3部作の2作目であり、時代的には閑山島海戦当時、40代後半だったイ・スンシンを描いた。「生きようとすれば死ぬだろう、死のうとすれば生きるだろう」と叫びながら兵士たちの恐怖を勇気に変える『バトル・オーシャン 海上決戦』の中のイ・スンシン(チェ·ミンシク)のカリスマを期待した観客は、首をかしげるかもしれない。『閑山:龍の出現』のイ・スンシン(パク·ヘイル)は、勇将ではなく智将だからだ。
キム監督は「イ・スンシン将軍の3大海戦を見ると、それぞれはっきりとした特徴がある。記録に従い、初期のイ・スンシンを士人型、知略型ととらえるようになった。リュ・ソンリョン大監の表現によると、その容姿は端麗で士人のようだったそうだ。外柔内剛型の士人の感じを与えようとした」と述べた。
また「『バトル・オーシャン 海上決戦』は、イ·スンシンの孤独で強い意志が、逆転勝利を成し遂げたとするなら、『閑山:龍の出現』は、イ·スンシンと周辺の将軍たちがともに活躍する」と説明した。『閑山:龍の出現』では水路専門家である水路嚮導の“オ·ヨンダム”(アン·ソンギ)、全羅右道水軍節度使の“イ·オクギ”(コンミョン)、亀甲船を設計した“ナ·デヨン”(パク·ジファン)、慶尙右道水軍節度使の“ウォンギュン”(ソン·ヒョンジュ)など、イ·スンシンの周辺人物が、前編に比べ、生きている。イ・スンシンと、倭将“脇坂”(ビョン·ヨハン)の性格は水と火のように対比される。
キム監督は「イ・スンシンは、武人だったにもかかわらず、宋明理学者たちが扱った四端(人間の本性からにじみ出る心遣い。先天的で道徳的な能力のこと)の問題を、現実的かつ直接的に実践した。君子の像が文人ではなく武人から出たというのがイ・スンシンのアイロニーだ。7年間、戦をしながら精神的疲弊と外的圧迫を経験し、母親や息子、戦友を失った状況でどのように耐えたのだろうか。神様を信じていたわけでもないのに驚きだ」と明かした。
そしてキム監督は、イ・スンシン3部作の最後の作品である『露梁(ノリャン):死の海(原題:노량: 죽음의 바다)』を、『閑山:龍の出現』と一緒に撮った。『閑山:龍の出現』の撮影を終えた後、約2ヵ月あまりは、露梁海戦に参戦した明の船を製作。キム監督は「『閑山』を経て『露梁』に至ると、朝鮮水軍の進法が完成する」とし、「亀甲船は朝鮮水軍の力と私たちの魂が凝縮された象徴」と述べた。
亀甲船の具体的な形や、どのように使われていたかについての視覚資料は存在しない。キム監督は「実際に、戦場で使われていたと思われる亀甲船を作らなければならないという思いで作った」としながらも、「私たちが考える亀甲船のイメージと、あまりにもかけ離れた描写はしたくなかった」と述べた。
キム監督は『バトル・オーシャン 海上決戦』の翌年、イ·スンシンの行跡を追い、鳴梁海戦の準備過程を追跡したドキュメンタリー「鳴梁:竜巻の海に向かって(原題:명량: 회오리 바다를 향하여)」を制作した。イ・スンシン3部作を終えた後、壬辰倭乱7年史をドラマ化する計画だと語った。
そして「映画では、イ・スンシンと戦闘状況の描写に集中した。“ソンジョ”や“リュ·ソンリョン”、明の将軍などを主役に壬辰倭乱の政治外交史を扱ったドラマを準備している。もちろん原動力はイ・スンシンの魅力」と付け加えた。
