「第2の全盛期」を迎えたイ・ジヒョン、「ロングランの秘訣は耐えること」
2022年09月15日

「10代と20代を走り抜けられた原動力?それは“若さ”だ。その時期でなければ、できない。年齢を重ねるごとに悩みも増え、一つのことだけにすべてを注ぐことができなくなった」
2000年代を風靡したガールズグループ、ジュエリーのメンバーであり、週末のバラエティ番組で元祖「毒舌キャラ」を築いたイ・ジヒョン。今は、2人の子どもを育てる母親でありタレントだ。
1998年、ガールズグループCircleとしてデビューしたが注目されず、2001年にジュエリーで再び歌謡界に挑戦状を出し「Again」、「I really like you」、「Super Star」などのヒット曲を出した。その後、2006年にグループを脱退し、タレントに転身。今年で活動25年目を迎えた。
イ・ジヒョンは10日、応じたインタビューで「芸能人としてロングランする秘訣は耐えることだ」とし「つらい時期を耐えるのは大変だったが、その時間も過ぎ、結果的には息子もとても元気に過ごしているので、目標は達成できたと思う」と話した。
彼女はジュエリー脱退後、2回の結婚、出産、離婚を経て、長い空白期を持った。
「不幸な結婚生活の中で、子どもたちを守らなければならないというプレッシャーがあり、活動するなんて考えもできなかった」という。
しかし、「2回目の離婚がある程度整理できたので、これからは子どもたちにとって堂々とした素敵なお母さん、恥ずかしくないお母さんにならなければと思った」とし、「当時、ネットで私の名前を検索すると、離婚の記事だけが出ていた。こんな記事ではなく誇らしくなるような内容の記事が出てきたらいいのにと思い、怖かったが仕事をしようと決心した」と語った。
そうして選んだ番組が、様々な事情により一人で子育てをするタレントに密着するJTBCの育児バラエティ番組だった。
久しぶりに再開したタレント活動だったが、彼女を見た視聴者は驚きを隠せなかった。
楽曲「I really like you」で「君が大好き」と明るく歌うジュエリー時代の姿を記憶していた視聴者が、この番組で見たのは、大変な家庭環境と子育てに奮闘するイ・ジヒョンだったからだ。
不思議なことにこの育児番組出演によって、Channel A の育児バラエティ番組のオファーが入ってきた。これを通して児童心理の専門家オ・ウニョン博士に出会った。番組で映し出された繊細な息子の姿は、良くも悪くも彼女をもう一度話題の中心に上げた。
「初めはChannel Aのほうのオファーは断っていた。視聴者が私の息子に対してあれこれと言ってくると思ったから。息子が見せ物になるのが嫌だった。しかし、スタッフとたくさん話し合い、息子の未来だけを見つめようという気持ちで出演を決めた」
オ博士が下した診断は、息子が同い年の子どもに比べて敏感な性格であるということ。必要なときは決然とした態度で接するという処方の効果で、イ・ジヒョンの息子は、目に見えて変わっていった。今年、小学校に入学し、学校生活もうまくやっている。
イ・ジヒョンは「子育てのコーチをしていただいて、1から10まで私もたくさん学んだ」とし「昔は息子を理解する方法も分からなかったし、息子が学力上位1%の人に見られる神経質な性格であることも知らなかった。今は、息子に接する方法を習得したし、子どもの心を読む方法も身に付けた」と述べた。
また「息子は小学校1年生だが、数学の大会に2年生の問題で出場し、最優秀賞を受賞した」とし「試験でいい成績を出せば、1週間塾に行かなくていいという約束をしていたので、遊んでもいいよと言ってあげた」と笑った。
大変な時期が過ぎたあとに、番組出演のオファーが押し寄せた。
彼女は今年、Channel Aの育児バラエティ番組のほか、KBS 2TVの「資本主義学校 (原題:자본주의학교)」や「パク・ウォンスクのように生きましょう (原題:박원숙의 같이 삽시다)」など、多数のバラエティ番組に参加。
シングルマザーのタレントとしての1日が気になり、聞いてみたが、他の母親と変わらなかった。
「朝7時に起きて、子どもたちに朝ごはんを食べさせ、登校させる。そのあと、末っ子 (愛犬)と遊び散歩をする。子どもたちが下校したらおやつを食べさせて塾に送り届ける。息子の塾が終わり、友達が家に遊びに来たらおやつを出して、夕飯の準備をする。それから食事だ。収録のある日は、私の家族の誰かが手伝ってくれる」
彼女は、「30代後半までは、暇さえあれば大荷物を抱えて子どもたちを遊びに連れていっていたが、40代になると体力が落ちた」とし「気持ちとしては、あちこち行ってみたいのになかなかできない」と笑った。
イ・ジヒョンは、今から18年前の2004年にも放送界のブルーチップに挙げられたことがある。ある心理推理バラエティ番組のゲームコーナーを通じてだ。
当時、ジュエリーのメンバーではなくタレントのイ・ジヒョンとして知名度を上げ、頭角を現していたが、実際は毎日が苦痛の連続だったという。相手の弱点を掘り下げなければならないゲームのルールのせいで、番組の出演によって得たものは、悪質コメントと悪いイメージだけだったと打ち明けた。
「当時は、収録現場に行くのがとても嫌だった。だからといって、既に出演しているのに、やらないとも言えなかった。時間が早く過ぎることだけを望みながらスタジオに向かっていた。毎日ストレスで苦しんでいた。私に与えられた休み時間は、睡眠時間だけだった」
イ・ジヒョンは「出演者名簿が出たら、1週間かけて出演者の勉強をしなければならなかった」とし「彼らの弱点は何か、どのような面を引き出されると困るのかを研究するため、その1週間はストレスだった」と振り返った。
そして「その当時に戻れるなら、出演オファーを断りたい」とし「臆病で気が小さいのに、(表向きの) キャラクターに忠実にやっていたら、礼儀のないイメージが植え付けられ、十数年間も悔しい思いをした」と話した。
「あの時は、今と比べるとあり得ないほど、バラエティの収録現場は過酷だった。徹夜することはしょっちゅうあったし、待ち時間は3~4時間が基本だった。ただでさえ先輩も恐いのに、私はなぜこんなに失礼な言葉を言わなければいけないのかと毎日泣いていた。番組が終わるたびに出演者一人一人を訪ねて謝罪するのが仕事だった」
翌年の2005年には、彼女が所属するガールズグループ、ジュエリーが4thフルアルバムのタイトル曲「Super Star」で初の1位をさらい、全盛期を迎えた。
イ・ジヒョンは「イベントの時間が迫っていたため、短いスカートをはいてバイク便のバイクの後ろに乗せてもらったこともある」、「キム・ジンミョン、リュ・シファ、 Guillaume Musso (ギョーム・ムッソ)などの本を読むのが、唯一の癒しだった」と振り返った。
当時、一緒に奮闘したジュエリーのメンバーとは今も、連絡を取り合っている。長い間会えなかったとしても、昨日会ったかのようにすべてを分かり合える関係だ。
イ・ジヒョンは「第2の全盛期」を迎え、また別の挑戦もしている。
彼女は、「ホームショッピングの司会者やインスタグラムのインフルエンサーなど、様々な分野に挑戦したい」とした。
「2020年1月頃には、パニック障害と結核を一緒に患った。心身共に病んでしまい、1年間家から出られなかったこともあった。その大変な時期を家族に対する愛で乗り越え、ここまで来ることができた」
