JAURIM、25周年コンサートで語っていた“覚悟”とは?…「これからも、“ばかばかしく不安に”音楽をやる」
2022年11月08日

「本当に不思議なことだが、JAURIM(紫雨林)はデビューしてからずっと快進撃を続けている。おかげで人間の内面と希望に対する楽曲を作ることができた」(キム・ユナ)
韓国を代表する混成バンドJAURIMは、デビュー25周年をこのように振り返り、「これからもばかばかしく不安にJAURIMの音楽をやりたい」と抱負を明かした。
7月1日にソウル・松坡(ソンパ)区のオリンピック公園のオリンピックホールで開かれた25周年記念コンサート「HAPPY 25th, JAURIM」でだ。
1997年に楽曲「HEY HEY HEY」でデビューした彼らは、ロックあるいはバンド音楽の不毛の地のような韓国で数多くのヒット曲を輩出し、人気を博した。最近では、2013年リリースの楽曲がドラマのOSTになったことをきっかけに、なんと9年ぶりにチャートを“逆走行”。上位圏にランクインしたりもした。
バンドのボーカル、キム・ユナは1997年のデビュー当時を振り返りながら「私は音楽をやりたくて休学した。それほどよい計画ではないというのを知っていた」とし、「だから体の半分ほどはいつも絶望の沼に入っていて、半分は何も考えないか、進路変更を考えていた」と回顧した。
さらに「しかしご存知のように『HEY HEY HEY』でデビューすることになり、奇跡のように大きな反響を起こした」と笑った。
JAURIMがこの四半世紀の間、貫いてきた楽曲のテーマ“不安”が、当時の若者の反響を引き出し愛された。もちろん楽曲によりその不安の根源は死、青春、別れ、存在などとさまざまだった。
キム・ユナは「JAURIMが25周年を迎えてもなお、愛さ続けたのは、楽曲のテーマが多様だったからだと思う」とし、「以前は、自分の話だと思わなかった歌詞が年を取っていくと、自分の話のようだと悟っていく過程が刺激的だ」と述べた。
それとともに「(JAURIMの歌詞の中にある)正義、矛盾、怒り、内面の闇、存在の寂しさなどの根底にはいつも楽天的な敗北主義があった」とし、「どうせ私たちは消えてしまう存在だから、存在している日々はすべて奇跡だ。自分がやりたいこのような話をJAURIMというアバターを通して歌で語ってきた」と付け加えた。
ギタリストのイ・ソンギュは「2017年にバンドの20歳を迎えたのが昨日のようだが、いつの間にか(人間で言うと)25歳の青年になっていた」とし、「JAURIMをこんなに素敵にしてくださり感謝している」と述べた。
ベーシストのキム・ジンマンは「僕がメロディーを先に作り、歌詞のことで悩んでいたら、翌日キム・ユナが『見てみて』と歌詞を持ってくるという形で数多くの名曲が誕生した」とし、「その中のひとつが『The 20th Century Boys and Girls』だ」と明かした。
それとともに「この25年は夢のようだった」とし、「これが夢なら覚めないでほしい」と語った。
JAURIMはこの25年間で出した数々のヒット曲を次々と披露し、2700人あまりの観客の拍手を浴びた。
新型コロナウイルス感染症の予防のためのソーシャルディスタンスがほぼ解除されたため、ファンは大合唱したり、「キム・ユナ、かわいい」、「JAURIM最高」など、ひっきりなしに叫んだりした。
JAURIMも歓呼に応えるように、「Magic Carpet Ride」、「Beeswax Angel」、「I'm my fan」、「Hahaha Song」、「HEY HEY HEY」、「Twenty-five, Twenty-one」などファンでなくても一度は耳にしたことがある代表曲を聴かせ会場を盛り上げた。
キム・ユナは明るい楽曲を披露する時はステージを駆け回り、「Sorry, I hate you」のようなしっとりとした楽曲を歌う時は、いっそう力強くなった歌唱力をアピールした。
キム・ユナは「大声で叫ぶのは気分がいいでしょう?どんなにもどかしかったか」と、戻ってきた大合唱と歓呼を歓迎した。
キム・ジンマンもまた、「この3年間、(公演会場では)座ってばかりで大声を出すことができなかったが、皆さんが叫ぶのをみていたらすごく暑くなった」と現場の熱気を楽しんだ。
JAURIMは同日のコンサートと同名の25周年記念アルバムも発売した。アルバムの制作では、選抜されたファン117人がコーラスとして参加し、意味を添えた。
キム・ユナは「私はいつも、ジンマンさんやソンギュさんを私の命の恩人だと思っている。皆さんお一人お一人もまた、私の命の恩人。私が負けずに生き残り、今日を歩くようにしくださって、本当に感謝している」と述べた。
