映画『デッドマン』のハ・ジュンウォン監督、「自分の名前の価値について吟味する映画を作ることが目標だった」
2024年02月01日

今月7日に公開される映画『デッドマン(原題:데드맨)』は、お金をもらって名前を売る、いわゆる“名だけの社長”の世界を描いたスリラーだ。
中年の男“マンジェ”(チョ・ジヌン)が名だけの社長としてお金を稼ぐも、横領の汚名を着せられ書類上死んだ人となり繰り広げられる物語だ。
政治圏、実の会社所有者であるサラ金業者、組織暴力団など、名だけの社長とつながる秘密の世界をリアルに表現した。
演出を担ったハ・ジュンウォン(48)監督が5年にわたって取材をし、それを元に自ら脚本を書いた作品だ。
31日、鍾路(チョンノ)区のカフェで彼と会い、名だけの社長というユニークな素材を選んだ理由を尋ねた。
ハ監督は、「肉体はなくなっても名前は残るものだが、自分の名前に対して責任を負わない人が多いと思った」とし「名前と責任という2つの話題を盛り込もうと、名だけの社長をキャラクターにした」と答えた。
彼は、「自分が果たして、名前のとおり生きているのかを振り返り、自分の名前の価値について吟味する映画を作ることが目標だった」と強調した。
劇中、財力家と権力家たちはマンジェの名前を盾に、ありとあらゆる悪行をする。彼らの代わりに罪をかぶったマンジェは中国に売られ、死の危機にぶつかる。
ハ監督は、名だけの社長を取材する過程で、このようなことが実際に行われていることを知るようになったと話した。
もちろん取材は、容易ではなかった。違法なことをしているだけに、名だけの社長はハ監督と会うことを非常にしぶったとハ監督は明かした。説得して会うまでに数カ月かかるため、そのぶんシナリオの完成も時間がかかった。
ハ監督は「ある人は、初めは時計工場の名刺をくれたが、1カ月後には靴工場の名刺をくれた」とし「ある名だけの社長は、サラ金業者が自分を海外に送ろうとしていると言っていたので、私が“気をつけろ”と声をかけたりもした」と当時を振り返った。
彼が危険を冒してまで、長期にわたり取材を続けたのは、『デッドマン』が彼のデビュー作だからでもある。ポン・ジュノ監督の『グエムル-漢江の怪物』(2006)の共同脚本家として名を知らせてから、約18年かかった。
彼は、「昔のことなので、ポン監督の話をするのは、気が引ける」としながらも『デッドマン』を準備している間ずっと、ポン監督に助けてもらったと感謝を表した。
ポン監督は、シナリオの執筆段階からキャスティングのことを考え、一つ一つのシーンをフィードバックしてくれたという。
ハ監督は、大学時代の講師として来たポン監督に、「演出だけでもやらせてほしい」と頼み、初めて縁を結んだ。ポン監督は、「シナリオも一緒に書こう」と言い、ハ監督を引き入れた。
父親であるハ・ミョンジュン監督も、常に心強い支えとなってくれた。ハ・ミョンジュン監督は、ベルリン国際映画祭のコンペティション部門進出作『炎天下(原題:땡볕)』(1984)などを演出した監督で、『馬鹿たちの行進(原題:바보들의 행진)』(1975)で有名なハ・ギルジョン監督の弟でもある。
ハ・ジュンウォン監督は幼い頃、父親を見ながら、「映画は、自分にできることではない」と思ったという。
その後、映画を勉強していた兄が撮った短編を見た後、映画に魅了され、遅れて韓国芸術総合学校映像院に入学。兄と一緒に父の復帰作『母は死なない(原題:어머니는 죽지 않는다)』(2007)の作業に参加したりもした。
彼は、父親と伯父の名前がプレッシャーにならないわけではないとしながらも、「基本的に平然としているほうで、むしろいつも大きな力になっている」と笑った。
「父の業績をとても尊敬している」というハ監督は、「私もこれから、私だけの小さな何かを作っていきたい」とした。
中年の男“マンジェ”(チョ・ジヌン)が名だけの社長としてお金を稼ぐも、横領の汚名を着せられ書類上死んだ人となり繰り広げられる物語だ。
政治圏、実の会社所有者であるサラ金業者、組織暴力団など、名だけの社長とつながる秘密の世界をリアルに表現した。
演出を担ったハ・ジュンウォン(48)監督が5年にわたって取材をし、それを元に自ら脚本を書いた作品だ。
31日、鍾路(チョンノ)区のカフェで彼と会い、名だけの社長というユニークな素材を選んだ理由を尋ねた。
ハ監督は、「肉体はなくなっても名前は残るものだが、自分の名前に対して責任を負わない人が多いと思った」とし「名前と責任という2つの話題を盛り込もうと、名だけの社長をキャラクターにした」と答えた。
彼は、「自分が果たして、名前のとおり生きているのかを振り返り、自分の名前の価値について吟味する映画を作ることが目標だった」と強調した。
劇中、財力家と権力家たちはマンジェの名前を盾に、ありとあらゆる悪行をする。彼らの代わりに罪をかぶったマンジェは中国に売られ、死の危機にぶつかる。
ハ監督は、名だけの社長を取材する過程で、このようなことが実際に行われていることを知るようになったと話した。
もちろん取材は、容易ではなかった。違法なことをしているだけに、名だけの社長はハ監督と会うことを非常にしぶったとハ監督は明かした。説得して会うまでに数カ月かかるため、そのぶんシナリオの完成も時間がかかった。
ハ監督は「ある人は、初めは時計工場の名刺をくれたが、1カ月後には靴工場の名刺をくれた」とし「ある名だけの社長は、サラ金業者が自分を海外に送ろうとしていると言っていたので、私が“気をつけろ”と声をかけたりもした」と当時を振り返った。
彼が危険を冒してまで、長期にわたり取材を続けたのは、『デッドマン』が彼のデビュー作だからでもある。ポン・ジュノ監督の『グエムル-漢江の怪物』(2006)の共同脚本家として名を知らせてから、約18年かかった。
彼は、「昔のことなので、ポン監督の話をするのは、気が引ける」としながらも『デッドマン』を準備している間ずっと、ポン監督に助けてもらったと感謝を表した。
ポン監督は、シナリオの執筆段階からキャスティングのことを考え、一つ一つのシーンをフィードバックしてくれたという。
ハ監督は、大学時代の講師として来たポン監督に、「演出だけでもやらせてほしい」と頼み、初めて縁を結んだ。ポン監督は、「シナリオも一緒に書こう」と言い、ハ監督を引き入れた。
父親であるハ・ミョンジュン監督も、常に心強い支えとなってくれた。ハ・ミョンジュン監督は、ベルリン国際映画祭のコンペティション部門進出作『炎天下(原題:땡볕)』(1984)などを演出した監督で、『馬鹿たちの行進(原題:바보들의 행진)』(1975)で有名なハ・ギルジョン監督の弟でもある。
ハ・ジュンウォン監督は幼い頃、父親を見ながら、「映画は、自分にできることではない」と思ったという。
その後、映画を勉強していた兄が撮った短編を見た後、映画に魅了され、遅れて韓国芸術総合学校映像院に入学。兄と一緒に父の復帰作『母は死なない(原題:어머니는 죽지 않는다)』(2007)の作業に参加したりもした。
彼は、父親と伯父の名前がプレッシャーにならないわけではないとしながらも、「基本的に平然としているほうで、むしろいつも大きな力になっている」と笑った。
「父の業績をとても尊敬している」というハ監督は、「私もこれから、私だけの小さな何かを作っていきたい」とした。
