ヤン・ダイル“音楽的な思春期を過酷に経験…歌手寿命に悩んだ”

2019年04月26日

「ここ1年はいいことばかりあった。人気も出たしお金もたくさん稼いで借家も得て。でもただただ幸せなわけではなかった」

 

シンガソングライターのヤン・ダイルはBRANDNEW MUSICの“親孝行の息子”のような存在だ。「ごめん」がヒットし音源強者に浮上したおかげで、事務所内で占める音源収入の比重は卓越している。

 

そんなヤン・ダイルでも苦悩は多かった。歌手としての寿命はどれくらいなのか、音楽的なインスピレーションがいつまで浮かんでくるのか、計り知れない不安が全身を襲うときがあったという。

 

4月26日の午後6時ミニ・アルバム第3集『Skepticism』を発表する彼とソウルの鍾路(チョンノ)区寿松洞(スソンドン)で会った。

 

アルバムのタイトルを『懐疑論』に決めた理由を聞くと、彼は「大成功したわけでもない私がこんな単語を使ってもいいのか、未熟ではないかとたくさん悩んだ。しかしこれ以外に表現できる単語がなかった」と述べた。

 

「正直言うと、最近は買いたくなくなるほどたくさん服を買った。貧しい環境で育ったわけではないが、幼い頃は十分に食べられなかった。今は『贅沢なのでは?』と思うほど、一食一食に気を使っている。最近は友人たちといわゆる3大ホテルのビッフェにすべて行ってみたりもした。それなのに、おかしなことに懐疑心が湧いた」

 

ヤン・ダイルの青少年期は平凡ではない。高校までサッカー選手として活動し、高校生でボーカルに転向した。20歳からは数々の芸能事務所を渡り歩いたがデビューには程遠く、K-POPアイドル、日本のグループ、アカペラチームの準備要員を転々とした。練習生同士の恋愛が禁止された事務所で恋愛が発覚し、退社したこともあったという彼は屈曲を経ながらも、一箇所に留まらなかった。

 

「練習生を辞め1年ほど遊んでいたとき、その半年はネットカフェで暮らした。一緒に大学へ通っていた人たちがテレビに出て成功している姿を見てうらやましすぎて嫉妬した。自分はただ見守るだけの人間なのか、違う、何かしなくてはいけないと、その時から体当たりで編曲も学び、音楽もまたスタートした」

 

頭の中にはいつも輝かしい夢が広がっていたという。歌手の夢にたどり着いた今、彼は戸惑っているように見えた。

 

「一人息子だったため、一人で遊びながら将来を想像したりもした。テレビに映る人たちのようにもてなされ華やかな場所に通ったり、有名な映画監督や漫画家になったり、もしくはノーベル賞を受賞する科学者になったり…その中の一つを叶えた今、『恵まれている』と言われるかもしれないが、現実は夢見ていたものと少し違う気がする。大層な経験をしても思ったより幸せなのかよく分からない。思春期を容赦なく経験しているみたいだ」

 

デビューして5年、分岐点に立ったヤン・ダイルが掲げた目標は何か。彼はしばらく考え込んだ後、ようやく口を開いた。

 

「歌手をいつまで続けられるか不安で怖い。歌手として残された寿命は3年あるだろうか。それより短かかったらどうしよう。本当はそういう考えは良くない。そんな暗いムードをこのアルバムに盛り込んで投げ捨てたかった。私の人生、一時こんな時期も存在したということが、音楽で記録されたら嬉しい」

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