映画『同じ下着を着るふたりの女』のキム・セイン監督、「根深い“母性神話”へ妥協なく突進したかった」

2022年11月07日

今月10日に韓国で公開される映画『同じ下着を着るふたりの女(原題:같은 속옷을 입는 두 여자)』は、われわれがイメージする母性愛とかけ離れた人物を前面に出した。
シングルマザーの“スギョン”(ヤン・マルボク)は洗濯物を手洗いしている娘“イジョン”(イム・ジホ)に、平気で自分が着ていた下着を投げつけ、生理痛がひどいから鎮痛剤を買ってきてほしいと言った娘の言葉を無視して恋人と出かける。
固定観念を破る母親の姿が登場し、映画はスギョンの本音を少しずつあらわにしながら別の話に展開していく。スクリーンの中の2人は、もはや悪い母親、優しくてかわいそうな娘を通り越し、憎しみ合う母娘として映し出される。
今月4日にリモートで会ったキム・セイン監督は、映画の中の母娘について、「このすべてのことは、ただスギョンのせいだけではないと思う」とし、「スギョンが間違い、不器用だったぶん、イジョンにもそんな部分がある。1人がおかしいとか間違っているとかではなく、ある社会的脈絡の中で起きることだということを盛り込みたかった」と述べた。
深まりゆくスギョンとイジョンの間の感情の穴は、事故後、露わになっていく。スギョンとイジョンは、車内で口論となり、怒って降りたイジョンに車が突進したのだ。スギョンは車に問題があったと主張するが、イジョンはこれを信じない。
監督は、「この事故は、われわれ社会にある根深い“母性神話”と似ている」と説明した。
そして「その時、誤発進に関する記事をたくさん読んだ。被害に遭った人が明らかにいるのに、大企業は欠陥のある製品を出したりしないという社会的信用が堅固で、一個人が(製品不良を)証明することは非常に難しいと感じた。母性神話にもつながっている部分があると思う。韓国では、ひとつの大きな母性のイメージがあって、そこから逸脱した人々は自分のせいだと突き放す傾向にある」と付け加えた。
キム監督は「映画を通じて、さまざまな話がなりふり構わず論議される場を作りたかった」とし、「妥協をしたくなかった」と述べた。
「好き嫌いが分かれるかもしれない。多少乱暴ではあるが、2人の女性がある程度妥協していくのではなく、物理的・情緒的に完ぺきに破れて独立する姿を描きたかった。適度に染みわたるように描くよりは、あと先関係なくただ突進する話をしたかった。そのためには行くところまで行かなければならないと思った」
『同じ下着を着るふたりの女』は、キム監督の初の長編作だ。彼女は「短編作業で子どもの寂しさという情緒をテーマにずっと作業をしてきたが、なぜこんなにも、その感情に没入することになったのかを考えてみたら、その末に母親がいた」と告白した。
そして「私が他の話題を語るために一度はその情緒に直面しなければと思った。実際に経験したり、周りで見たりした母娘の姿は、メディアで見るものとは違う。韓国社会は父性より母性に頼るほうが多く、母親も娘により多くの責任と情緒的役割を期待したりもする。私が見た姿を映画で具現したかった」と述べた。
彼女は今回の作品に、不完全な人々が、関係の中で成長する物語を盛り込んだ。相手に対する深い憎しみがあっても、別れなかった2人は、ようやくお互いから独立していく。
キム監督は「人は行き違い失敗もしながら、しっかりしていくのだと思う」としながら、「明確で正しい選択をする完ぺきな人々ではなく、多少いい加減な人があることを経験しながら自分自身を見つけていく話をしたかった」と述べた。

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