オム・エンラン、「ヒョンミはいつも明るい人」

2023年04月06日

「ヒョンミと私は、何をするにも、昼でも夜でも、いつも一緒だった。それなのに (ヒョンミが先に逝ってしまって)自分の分身がいなくなったような気分だ」
俳優オム・エンラン (87)は5日、電話でインタビューに応じ「私には、もう友達がいない」と悲しみを隠せない様子だった。
ヒョンミとオム・エンランは、芸能界きっての親友として有名だった。オム・エンランは、ヒョンミがこの世を去る前日まで毎日電話し、お互いの近況を語り合っていたと明かした。
オム・エンランは、「私たちは20代の時、あるイベント会場で初めて会った」とし、「ヒョンミが“オム・エンランさんの名前は聞いていたが、初めてお会いするね”、“私があなたのお姉さんになる”と言ってくれた」と、初めての出会いを振り返った。
2人は、平坦ではない芸能界生活と家庭生活を送りながら、約60年間、厚い友情を築いた。オム・エンランは、明るく気さくな性格のヒョンミを見ていると、いつのまにか自分も深い心の内を打ち明け、相談したりしていたと話した。
オム・エンランは、「気兼ねなく全てを打ち明けた」とし、「悲しければ悲しいと、ある人を憎んでいれば憎いと言い、旦那の愚痴もお互いに言い合った」と述べた。
ヒョンミが、夫で作曲家の故イ・ボンジョとケンカし、心を落ち着かせるために行った場所もオム・エンランの家だった。
「私たちは、同じマンションに住んでいた。ヒョンミの家や私の家を、お互い自分の家のように行き来した。そんなふうに楽しく過ごした」
ヒョンミは1957年、米8軍 (1950年代以降の韓国にあった米軍のための舞台)で芸能活動を始めた。その後、ジャズ風のハスキーな声で「夜霧 (原題:밤안개)」、「The Face I Want to See」、「Leave Without Words」などのヒット曲を次々とリリースし、1960年代の音楽界をリードした。
彼女は今月4日午前、ソウル・龍山 (ヨンサン)区の二村 (イチョン)洞の自宅で倒れているところを発見され、近くの病院に搬送されたが、帰らぬ人となった。葬儀は、ヒョンミの2人の息子がアメリカ・ロサンゼルスから帰国し次第、確定する予定だ。
オム・エンランは、「(ヒョンミは) まだ氷の中に入っていると聞いた。全てが嫌で悲しい」と涙ながらに話した。

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